(No.8)「ために」から「ともに」

 

 自分のことしか考えない人は「自己中(心)」と言われます。逆に「私は自分のためではなく、人のために生きている」という人もいます。「誰々のために…」と日々、人のために尽くすことを生きがいにしているのです。  しかし、ここで注意が必要です。いくら相手のことを考えての行為であっても、それが相手を窮屈な思いにしているかもしれません。  私は「して上げる人」、あなたは「される人」という上下関係ができてしまうと、相手を遠慮がちにさせたり卑屈にさせてしまいます。ボランティアに熱心な人達が施設等の慰問に出かけて「あなたがたのために」という大義名分による自己満足のために相手を傷つけることがあります。我が子のために、社員のために、上司のために、親のために、と生きている人は今一度、自己点検してみてはいかがでしょうか。  しかし、人の「ために」という人生に別れを告げて、その人と「ともに」という生き方を知ったなら、今までとは全く違う人間関係が開けてきます。それは相手に不必要な自己防衛の壁を作らせません。相手と同じ立場に立ち、ともに生き、そしてあなた自身がそこで確かな方向を見つめて生きているなら、相手もあなたの見つめている確かなものをともに目指して歩めるようになります。  ハワイのモロカイ島に渡ったジョゼフ・ダミアン神父はハンセン病収容所に宣教師としてやってきました。彼らの皮膚は腐り、目や鼻が朽ちていくだけでなく、肉親から見捨てられ、南海の孤島で自分の運命をのろって一生を終える人がほとんどでした。  33歳でこの地に足を踏み入れたダミアンは不眠不休で彼らの看護に当たりましたが、彼らは心をなかなか開こうとしませんでした。  そこで、ダミアンは彼らの「ために」という姿勢を改め、彼らと「ともに」という人生を歩む決断をしました。彼は患者の膿を飲み、自らハンセン病になりました。彼のメッセージは「あなたがたハンセン病の人たちは…」から「私たちハンセン病の者は…」に変わりました。  この事を通して人々の心の傷は癒やされていきました。彼らは自ら木材を運んで小屋を作り、畑を開墾し、美しい庭園を造り、ある人たちはオーケストラを編成し、美しい讃美歌を歌い始めました。  人の「ために」から人と「ともに」の転換が奇跡を生んだのです。

 
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