礼拝説教

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2023/3/19
【聖書箇所】  ルカ 18:18−23
【説教題】  みな守っております

アウトライン

 

◇「ある役人が」=会堂の役人 (2017訳)「ある指導者が」 →信仰の指導者であるべき人がまことの信仰について分かっていない ◇「尊い先生」(あるいは「良い先生」)「どうしたら…」 →自分の日常生活においてキリストに近づいていくことより学問を極めようとする姿 「何をしたら永遠のいのちを…」→この問は自分に確信がない ただ21節の返答の後にイエスから「それでいいよ」と言ってもらいたかった ◇21節の主イエスのお答えは十戒の一部に過ぎない(人間関係の戒め) 特に神と人との関係を説く前半を欠いている 主イエスはこの役員の得意分野(自信のある分野)で勝負しながら 彼の不完全さを示そうと計画しておられる ◇「みな守っております」=役員の自信 私たちもこのような確信をもっているとき自分についてまったく盲目になっている ◇22節の主のお言葉はあなたにとって厳しいものだろうか  この役人にとってもとても厳しいものだった  →彼は非常に悲しんだ(23節) ◇「持ち物を売り払って、そのうえでわたし(キリスト)について来なさい」 →「この命令は私には実行できない。私は救われない!」とあなたは絶望するか 聖書は二つの救いの方法を教えている ひとつは今日の箇所の方法(自分の行いの正しさ・完璧さ) もう一つは主の憐れみに拠り頼む(信仰による義 18:13~14) ◎主イエスは前者の方法は人間には実行不可能であることに気づかせ 後者の方法が用意されていることに気づかせようとしている

 

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