礼拝説教

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2026/5/10
【聖書朗読】  マラキ 1:1~5
【説教】  旧約聖書最終預言者マラキのメッセージ

アウトライン

マラキ書は、紀元前586年に新バビロンのネブカデネザル王によって破壊された最初のエルサレム神殿を覚えて始まる僅か4章の旧約聖書最後の巻物です。 マラキが神に用いられた時代は、第二神殿建設が終わって人々がやれやれほっと一息入れる時期に神に立てられた最終預言者ですので、既に神殿は再建されて神殿での礼拝が再び始まっていました。マラキは、旧約預言者のマラソン最終ランナーです。いわば預言者時代の終わりを告げるメッセンジャーです。マラキ以後、神のことばは語られません。おおよそ400年の神の沈黙時代が続きます。その間に地上の歴史世界は、ペルシャからギリシャを経てローマへと進みます。そしてローマ時代に神の沈黙が破られる時が来ます。『荒野に呼ばわる声がする‥主の道を備えよ!』と叫ぶバプテスマのヨハネの出現です。ついに新しい契約の書物になる新約聖書の幕が開かれます。 さてマラキの時代に戻ってエルサレム神殿に注目します。エルサレムに神殿が再建しても人の心は変わりません。巧妙に神殿での礼拝が、狡く行なわれます。そして、それを知っても祭司たちは黙認する現実があります。狡い人々は、賄賂で祭司たちの口と心を塞ぎます。例を上げると、第二神殿の庭を生活の便利さを理由に通過するというモーセの律法違反が行なわれます。また、神殿境内でギリシャ・ローマの貨幣からユダヤ貨幣に両替する両替商が店開きします。両替商の登場は、エルサレム神殿で献金される貨幣はユダヤ貨幣に限るからです。両替商人は神殿境内に出店を作って両替します。その手数料が収入になります。これも律法違反です。更には、神殿の祭壇で屠られ神にささげられる牛・羊・山羊・鳩が商売され始めます。エルサレム神殿の管理責任者である祭司は、賄賂を取ってこれらの出来事を黙認し、それがイエスの時代まで続きます。『あなた方は神の家を強盗の巣にしている!』激しく怒られたイエスを福音書は書いています。良く言われるイエスの宮浄めの出来事です。マラキの時代がその発端です。 マラキ書は、神の愛への不信から始まります。神は、イスラエルを本当に愛して下さっているのか?です。神がイスラエルを愛して下さっている証し・証拠が何処にも見えない!という神の愛の不信がマラキ書の最初のテーマです。結婚生活の基本にあるのが夫婦間の愛ですが、神とイスラエルの間も愛です。 『私はあなた方を愛している。・・・主は言われる…しかしあなた方は言う。「どのようにしてあなたは私たちを愛してくださっているのですか」と。』⇒2節。 ここに神の愛の告白に対しイスラエルは、証拠を求めています。ことばだけなら誰でも何とでも言える・・証拠を見せろ!証しを立てよ!とイスラエルは神に訴えます。これは、イスラエルの人々の魂の末期症状です。 ヘブル語動詞で愛するは、アーハーヴ、もしくはアーヘーヴと初音します。この動詞愛するのことばが初めて使われたのが創世記22章のエサウとヤコブの兄弟に対してなのです。『私はヤコブを愛し、エサウを憎み・・』とマラキ書1章2節3節に書かれています。どうして神は、兄も弟も愛されなかったのか? 了見が狭すぎる、二人しかいないのだから両方愛してあげたらどうですか?と人は思います。しかし、神は選ばれるのです。アブラハム・イサクの相続者は一人だけなのです。丁度結婚と同じです。新郎新婦は一人だけなのです。選ばないといけないのです。二人纏めて一緒に仲良くとはいきません。相手もそれを求めていません。 神はヤコブを選ばれました。愛の前に選びがあり、神がそれを選択されたのです。イスラエルは、それを受け入れる必要があります。この選ぶと言うのは、家畜を神にささげる当時の第二神殿時代でも同じです。レビ記1章から始まる神へのささげものは、家畜の中から最良のものを選んで会見の天幕に連れて来ます。染みも傷もない最良の家畜を選び別けます。人に最高最良最善をささげなさい!と求められた神は、私たちが救われる為に最高の御子イエスを十字架という祭壇にささげて下さいました。一人しかおられない御子を御ささげ下さったのです。ヨハネの福音書3章16節『神は実にそのひとり子をお与えになられたほどに世を愛されました。』と書き、聖書原典のギリシャ語では<世>はコスモスと書かれています。神の愛は宇宙大の偉大な出来事であったことが分ります。お祈りしましょう。

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